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考えること

今日も誰かを叩きたい

2018/01/11

最近ツイッター見てると他人の発言や行動した事に厳しすぎるなあとよく思う。「人は人、自分は自分」と思うと結構人生楽になるもんですがまあそう簡単にもいかないかな。

そもそも人が人を叩いている事に疑問を思う事自体「人は人」と割り切れていないのかもしれない。

しかし僕は考える。なぜそんなに人は人を叩くのだろうか。自分なりに答えが出たので書いておきます。

 

行動や発言はその人の価値観や考え方

SNSでもブログでもネットではなく現実世界でもなんでもいいですが、人の「行動」や「発言」はその人の「価値観」や「考え方」の現れだと思っています。

だから他人を「叩く」という行為は他人の「価値観」を批判しているにすぎない。「そんなのわかってるし元から価値観を批判しているつもり」と叩く人は多分言うと思うけど、そもそもそれが謎。他人の価値観を批判することで何がしたいんだろう?

他人を変えたいと思っている?

仮にその人に考えを変えて欲しい、と思っているなら叩くのではなく直接会いに行って話すか間違いを事細かく説明するのが一番楽。他人の価値観を変えるのって結構難易度が高い事なので、それなりの技術と労力が必要になりますけどね。まずは心理学から勉強する事になるだろうし、経験積むためにいろんな人と話さないと他人を変える能力を得るのはなかなか難しい。

 他人を叩くのは防衛本能

では他に叩く理由はあるのかと考えたのですが防衛本能なのだと思います。

人はそれぞれ自分の「価値観」や「考え方」を持っていますが、それを批判されたり否定される事を嫌う人が多く、「自分の考え方は間違いなのか、自分がこの長い人生で培ってきたこの価値観は正しくないのか」と思う事に怯え、それに傷つく人が多くいます。

僕たち動物は自分自身を守る事に長けているので、そういった傷がつく状況を回避しようとする傾向がありその能力があります。

それがなんだかんだ「叩く」という形となってアウトプットされるのだと僕は考えてます。自分自身を守る為に自分とは違う価値観や考え方を批判するのです。

最近だとウーマンラッシュアワーの村本氏なんかそうで、彼はツイッターやテレビ番組でただ自分の考えや意見を言っただけなのにビックリするくらい叩かれる。なにかと叩かれる。きっと叩いてる人達は自分を守るのに必死なんだと思う。村本氏があまりにもぶっとんだな発言や行動をしているので、彼を受け入れてしまったら自分の存在意義を否定されているように感じる人がいるのだと思う。

自分が傷つくのを避けるために他人を攻撃する。それはある意味防衛本能だし反応としては当たり前の事なのかもしれない。

「自分を守る」という意味では「やられたらやり返す精神」の人もいるかもしれない。傷つけられたから傷つける。それも防衛なのかなあ。

 

叩く人の愛は深い

自分を守る力は必要ですし持っていた方がいいと思います。更に発見したのは、叩く傾向がある人は自分の「価値観」や「考え方」と似た人がいたら思いっきり愛します。応援します。尊敬します。信用します。異常な程に。愛情と憎悪は真逆だけど振り幅は同じなので、心をその距離移動させるのに長けているのだと思う。

さっきの話とは逆で、自分と似た意見を発言する人は自分にとって「自分を認める材料」となります。

「自分はこのままでいいんだ。変わらなくていいんだ。自分は間違ってないんだ。」

この感情を得るために自分が強く共感できる人には活躍してもらいたいし、そのために応援する。崇める。祭り上げる。弟子になる。師匠と呼ぶ。信者になる。教祖様と呼ぶ。

自分とは反対の意見を持っている人間には活躍されると困るが、共感できる相手はどんどん認められてほしいと思う。勝手に自分とその相手を重ねたりする。なのでそういった対象にはかなり強い愛を与える。他人を叩く人の愛は深い。

 

CAN'T STOP TATAKIN'

叩く人をなんだか批判しているようになってしまいそうだったので「叩く人の愛は深い」という事を無理やり書きましたが、やっぱり他人を叩くのをみてるのは気分がよくない事かなあとは思います。これも結局個人的な主観ですし、もしかしたらそれを気持ちよくしている人も、気持ちよく見てる人もいるかもしれない。まあそれなら是非自分の幸福の為に続けるべきだと思いますが、僕はなくなったほうがいいと思うのでどうすれば他人を叩かなくなるのか書きます。

 

価値観は顔の数だけある

簡単です。「人それぞれ」を理解すること。それだけ。世の中には70億人いて価値観の数は70億個ある。考え方は70億通りある。最低でも。そんなに数のある価値観、共感するほうが希。むしろ共感する事の方が気持ち悪い事なんです。違う意見がある方が自然。もし仮に周囲の人間と共感することが多いとしたら、どちらかが無理矢理合わせているか本音を言ってないかです。本当に。

好きなものも違う。嫌いなものも違う。関心があるものも違う。知っていることも違う。できることも違う。それが当たり前。それが普通。同じ方が異様なんだと気づくだけで変わると思います。

「違うこと」を受け入れることができれば他人を叩く事もなくなると思います。それぞれがそれぞれの世界を持っていてそれは果てしなく広い。他人は自分の世界に入れないし自分は他人の世界に入れない。

人はどこまでいっても孤でしかないので。人との付き合いは「孤」と「孤」のつながりというだけ。それは友人でも。恋人でも。家族でも。

 

結局訓練

僕も少し前まではいろんな価値観や考え方叩きまくってたし、でも自分の考えを批判されれば感情的になったり。そして自分を認めてくれるもの、自分が共感できるものにはどっぷり浸かる。どっぷりラブ。依存。

結局は他人を使って自分に自信をつけようとしてたわけです。自信は自分を信じる事なので自己肯定感大事だし、他人に褒められたり認められたりで得るものではないんですね本当は。他人が基準になっちゃうと他人が自分を信じるかどうかになるので、まあそれは「他信」かなあ。そんな言葉ないだろうけど。

自分の一番の理解者は自分だし自分の帰る場所は自分だし自分の心の拠り所は自分だし死ぬのは自分だし生きるのも自分だし最終的判断を下すのも自分。結局自分なんですよねなんでも。

叩いてる人だって結局の所は自己防衛の為なので自分が一番大事。それが当たり前。

 

って事を日々自分自身の唱え続けるとこういう考え方になる。という訓練。人は簡単には変わりませんが、変わる事は絶対に可能です。変わりたいと思えば絶対に変われます。変われないのは変わりたくないと心のどこかで思っているから。時間はかかるかもしれないけど絶対になりたいようになれる。ああなんか宗教みたいで怖い自分で書いてて。

 

以上。

なんか書いてたら自分でもよくわからなくなってきて結構時間かけた。でもこうやって自分の考えを言葉に発する事ってすごく大事です。自分を見つめ直す事ができるし「あれは間違いだったかな〜」なんて振り返る事もできる。一番いいのはこういうのにガンガン反論がきて議論できるのが楽しいと思うんですけどねー。なかなかそれも難しい。

僕個人としてはもし違う意見の人がいたとしたら叩くのではなく、なんでそういう考え方になったのかを知ろうとします。例えばウーマン村本氏の事で言えば、彼の他の動画を見てみるとか。彼は原発がある町出身で弟が自衛隊員でもあるので、そういう情報を持って話を聞くとまた見方が変わってくるかもしれない。

「なぜその意見にたどり着いたか」を掘っていけば自分と違う意見も理解できるし批判された気にもなりません。案外簡単なことなんですよね。

 

あ、最後に。ちょっと思ったけどただ「ストレス発散」みたいな理由で他人叩いてる奴はただのバカです。他人を使わないとストレス発散ができないガチガチに固まった脳みその持ち主で想像力がなく完全に思考停止してます。前頭葉腐ってます。むしろちょっとかわいそうなレベルなのであんまりいじめないようにしましょう。以上。

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